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2008年 06月 24日
日本には、正規の三権分立はないように思います。 小学校・中学校あたりで教科書で教えられた司法・行政(役所)・立法(政治)の3つが癒着しているのではないかと感じられるからです。 裁判官が勇気を出し、自らの左遷や、退官を前提に民主的と思われる内容の判決を下す。 たいてい、国や企業、役所の許すまじき事件や対応に対して行われることが今も、多々あります。(最高裁ではほぼ無理。必ず政府見解通りが通例です) 水俣病問題、ハンセン病、薬害エイズやC型肝炎問題はじめ、理不尽がずっとまかり通ってきた裏に、反国家、反政府、反企業、反自民党(反アメリカにも)にならないための三権の癒着体質があったであろうことは、否めません。 日本という国の悪しき体質が露骨にゆがんだ、人権などを無視した前近代的な判決に、しばしば見られました。 司法の予算問題、人事、天下りなど、いわゆる、官僚であるための国からの雇われ人たちの官僚主権に従順となる例なのでしょう。 また、警察権力の強さも、どうしてなのでしょうか? 犯罪者への対応、調書取りなども、人権からみて、かなり先進国としては旧来の、むしろ戦前型の取り調べという話もあります。(取り調べ室にビデオカメラ、大賛成) 民主主義が正常に機能しているか否かを見る時、この司法の民主化、特に最高裁の判決が政府寄りか、そうでないかを知るとよくわかります。 およそ、反国家、反政府的見解は出てきません。個人の人権側に立つ判例は少ないはずです。 最高裁などは、政権与党のおすみつきの裁判官が就任し、かつ、政権の行政府との癒着が常態化する日本。そこに警察、大企業、そして与党政治家らがまとわりつく。教育もしかり、文科省―教育委員会―好調のタテ型命令系統です。 どうやったら法治国家に転換できるのか? 民主主義社会になるのか? 道遠い気もします。 せめて日本国憲法を、文字通り守り、実践することにより民主主義を少しでも実現させ、市民の手で法治国家を構築する。そんな時代が早く来ることを願っている、何もできないもどかしさの私です。 # by mirai-wo-yomu | 2008-06-24 20:19
2008年 06月 17日
官僚、役人という言葉から、皆さんは何を発想するでしょう? 税金を使って仕事をしている人。公的サービス業。公僕…あたりはまだまとも。 天下り、権力の主体、倒産も食いっぱぐれもなし。 多くは、18歳頃の大学受験能力で進路の可能性が決まり。 このあたりになると、本質に迫っていきます。 国家公務員約100万人。地方公務員約300万人。 計400万人に、さらに独立行政法人や、税金で主に食べている財団なども多々あります。 あるいは、今や国会議員で20%ぐらい、官僚出身者がいるそうです。これ天下りと言うんですか? 官僚は、優秀であり、かつ選挙も無し。試験は最初だけ。一度なったら不祥事を起こさない限り身分は保全されます。なにしろ、倒産、リストラがない。 前任者の決定は踏襲。後になり、時代や事態が変わっても、中身は替えず、先代の名誉を汚すことなくすべてが動くと言われています。つまり、保守的で変化なし。より良い社会を作る努力より、今までの社会を守るのが仕事になってしまいました。 そして何より国家機能の運営者ですから、実権は議員や企業人、市民に比べ絶対権力を持っています。 これが日本の進路をあやまらせ、今やグローバル化時代の中で混迷を続ける原因といえるでしょう。しかし誰一人、その責任をとりません。また、追求もなぜか弱い。 政治家に比べ、実ははるかに、智に長けていて、政治家を巧みに利用し、自らの望む、あるいは官庁、省庁の望む政治をあやつってきたことは、今も多くの事例が証明しています。 従って、少なくとも日本は、官僚、役人の支配する国と考えることが、すべての問題を理解する上で、わかりやすいと思います。 民主主義国家とは名ばかりです。条文に規定されているものの、日本国憲法を順守する役人など、めったにお目にかかりません。 一体、彼らは、何を目的に、権力を握っているのでしょうか。 戦前、戦後を通じ、一貫した位置に立ち、役割を演じ国をコントロールする仕組みを、今だ市民は改革できません。 が、唯一、かすかな可能性があるとすれば、政権交代と、それにともなう官僚、役人の中立化でしょうか。(自民党ばかりにくっついていられない) 自民党と官僚の癒着。財界、大企業と、官僚の癒着、そして大企業と自民党の癒着の中で、日本は戦後60年以上を数えてきました。 このままの社会で進むのか? 進めたいのか?(そういう若い人もいるので、最近私はびっくりしてます) はたまた、民主主義を絵に描いた餅に終わらせず、世界から一目置かれる、実りある社会へと一歩踏み出せるのか? 政権交代は恐らく確実に何かを変えるでしょう。 しかし、自民党(公明党)も、手をこまねいてはいないはず。(この人たち、狡猾、悪知恵軍団) あの手、この手で政権を民主党に渡すはずがありません。 何が起こるかわかりませんが、善の力と悪の力の綱引きに、官僚は自らの利益のため、悪にくっつき、うしろで動くはずです。 現に、国会を通った公務員制度改革法も骨抜きだらけでした。が、何もないよりはマシ、という意味では成果をもたらす可能性を感じます。(珍しく、まともに近い法案) そして、国の官僚・役人を公僕化し、地方の役人も公僕化すること抜きに、日本の再生はないと私は思います。地方の行政を知るにつけ、つくづく日本は一つの形態、選挙で市民から選ばれないのに、役人主権を感じます。 今、恐らく、国家財政の破綻の直前にあり、国も地方も生き残りに必死です。 恐らく、IMFが入り、アメリカが主導して、国家財政破綻に手をつければ、役人の30%カット、給与30%カット=つまり、全体の40%が残るのみ。 さらにボーナスなし、となればクモの子を散らすように、役人は去り、公僕でOKの市民サービス業へと役所は変わるはずです。(形だけでも) むしろ今、ズルズル先延ばしせず、国家破綻を急ぎ、日本再生にカジを切る。 それってあまりに急進的でしょうか? # by mirai-wo-yomu | 2008-06-17 11:01
2008年 06月 10日
遅れてすみません。どうもブログを書こうとすると、頭が回らない…トホホな私。 世襲政治は国を亡ぼします。 アメリカのブッシュ大統領を例にとっては大変失礼かと思いますが、あれもその典型。 今、イラク、アフガニスタン、世界経済、オイル、食糧の高騰。どうなってますか? オバマ氏に敗れたヒラリー氏も世襲の1つ。 夫が元大統領、その妻がいくら能力があるとは言え、ファミリーの大統領は、正常とは言えません。私個人としては、国民皆保険など、日ラリー夫人の政策は評価します。 もし、夫が元大統領でなければ、初のアメリカの女性大統領も賛成です。 でも今、もしヒラリー氏が大統領になったら、ブッシュ父(4年)―クリントン夫(8年)―ブッシュ息子(8年)―クリントン妻となり、交代制度で計20年プラスアルファで、24~28年間、2つのファミリーでアメリカ、ひいては世界がその指揮下に入ることになります。 民主主義の視点からみて、どうみてもうなずけません。 では一体、世襲政治はどうやったら制限できるのでしょうか? 難しい問題です。 日本は、世襲大国です。北朝鮮よりひどい。 失礼ながら、発展途上国の軍事独裁国家でもここまでの国はないでしょう。 先進国とは名ばかりで、民主主義の仮面をつけた世襲大国、官僚大国、そして借金大国が日本の正直な姿です。 日本人は、ほとんどこのことを問題にしてきませんでした。 なぜなのでしょうか? この物言わぬ国民性は? 私は不思議でなりあmせん。 理由は簡単です。 ①民主主義の意味が今もってわからない。誰も教えてくれなかった。 ②個人が存在しない。従って市民社会が存在しない。 ③古くからの儒教的思想の打ち込み このあたりを私は常に感じます。 1985年頃からの国際化は、日本のバブルと化してゼニもうけ、金余りで、土地、株、絵画、ゴルフ会員権の相場をあげ、世界から稼いだ利益を日本という島国の中に埋め込もうと必死でした。つまり、ドルを稼いで日本を貯金箱にしたのです。アメリカすら買おうとしました。 しかし、国際化とは甘くはなく、それを見抜いたアメリカは、その金、ドルの回収に入ります。 1989年にベルリンの壁をなくし、1991年にソ連を崩壊させ、ロシアとして再生をスタートさせる。東西冷戦にムダ金を使わなくする。 そして、経済大国の日本に、そのターゲットを変えたのです。 1990年に日本のバブルは破れ、以後、不良債権に悩み、今日の日本の株価1つとっても、1989年12月の38000円台からみて、約19年たって今、14000円台です。1989年の36%です。 つまり、こうした一種の収奪が国際的に行えてしまうのがグローバリゼーションという恐るべきシステムです。しかし、確実に日本は旧式ルールから民主化してきました。こうして、世界のマーケットが1つになり、ルールが1つにさせられつつあります。 インターネットという道具が1つになり、英語というコトバが唯一の商売の道具になってきました。もはやそれを批判しても、現実は変化しません。 では、日本の世襲のシステムによる政治のあり方は、この世界の大きな流れの中で果たして正常か否か。誰が考えても、ありえない状況です。 なぜ世界から必ずしも尊敬されず、GDP2位の日本が、いつの間にか世界一の大借金国に陥ったのか? たった19年でです。 世襲の政治家は(政治のみならず、経済界も)たいてい、保身、保守化します。自分の財産大事、お家大事、自分のファミリーが大事となります。多様な能力や人材は排除します。 つまり、新陳代謝(人間の体の原則~生きることの)をなるべくしない、古いまま、少なくとも自分が没落しない社会、ルールを、システムを世襲の政治家は作ります。 どうやったらこれをストップさせられるか? 次週につたないノウハウを書きます。 # by mirai-wo-yomu | 2008-06-10 15:11
2008年 06月 02日
あなたたち、元首相の方々は、はっきり言って、民主主義にとって「邪魔です」 先週、「日本を改革するための10の手がかり」を列挙しました。 他にももっとあります、実は。頭から湯気が出すぎて、蒸気機関車になっちゃうので、止めます。 でもまあ、これだけは何とかせにゃ、というのが10項目でした。 そしてこれは、あくまで「手がかり」です。 ズバリ、日本のより良い未来への大革命を民主的・長期的スパンで起こすなら、という話を近々結論にします。 まず①首相経験者は、政界から引退すべき。 院政を引くかのような、森、小泉、安倍元首相はじめ、中曽根元首相も長い間、院政を引いて圧力を発揮してきました。民主党にも確か2ヶ月首相をやった羽田という人もいます。 特に自民党の元首相は、うしろから影響力を発揮し、何かというと料亭やゴルフ場で、はたまた講演会や何かの集いで、マスコミの気を引くような仕掛け話をします。いわば、新聞、テレビ用の撒き餌です。 こうして自分の存在感を誇示し、税金で飯を食い、また、毎日毎夜庶民とかけはなれた贅沢三昧の席で酒、メシに浸っています。 世の中の格差も貧しさもどこ吹く風。「あ~そんなの関係ねー」の人々です。 皆さん、どう思いますか? 首相をやめた人たちは引退をすべき、ルールを変えて、どんどん人材の入れ替え戦をしたいものです。世界各国、大統領や首相をやめた人は、たいてい引退です。(プーチンさんは首相になって院政ですが) どうしても永田町が恋しい、という元首相用に、首相官邸別室を作り、そこに通ってもらう。―なんて、どうでしょう。引退ルーム。 どうしても、赤坂界隈の黒い塀、料亭の酒と料理が恋しいという元首相には、割引券をさしあげ、月1回使える、という方法もあります。 もちろん、交通費、メシ代、酒代は自腹。彼らはおいしい議員年金を税金も投入してたっぷりもらってるのですから。 マスコミの皆さん(このブログ、読んでないか)ぜひ議論し、報道して下さい。 元首相は引退せよ、という世界の常識的考え方を。 # by mirai-wo-yomu | 2008-06-02 20:17
2008年 05月 26日
1週、休んでしまいました。余りに疲れていて、頭が回らず、書く気力起こらずの週でした。 そして、このブログもそろそろ最後にさしかかりつつありますので、今週は私の今の考えを、10個並べます。この10個を実現するために、何をしたらよいかを、次週以後に展開します。 ①首相経験者は、政界から引退すべき。やれ森だ小泉だ、安倍だ中曽根だと亡霊が前面に出すぎ。(院政を引く、プーチン首相(元大統領)を除いて、先進国はたいてい引退が常識) ②世襲政治家の立候補規制。国政選挙に親や親族引退後、20年ぐらいは出られないようにするべき。世襲は国を亡ぼします。 ③官僚主権の解体。公僕化政策。役人は公僕にさせよう。 ④法治国家の確立。憲法の順守。三権の分立。司法と政府の独立。日本国憲法の実行。 ⑤経済団体の解体。老害。勲章狙いがミエミエ。 ⑥右翼・暴力団の徹底監視。言論の自由の確保。 ⑦新聞・出版の再販撤廃。記者クラブの廃止。報道こそ、自由競争を。 ⑧テレビ電波の自由化。参入・交代の自由。低俗番組スポンサーのボイコット。 ⑨相続税を50~100%に。生まれた時と死ぬ時は皆、平等。「無から生まれ無に帰る」 ⑩北欧型、民主国家、民主的教育、高福祉、高負担国家への転換。 まだ細部はいろいろありますが、とりあえず、政・財・官・マスコミの改革なくして、日本の希望ある未来はありえません。グランド・デザインを描きましょう。 人間が幸せになれる社会、目指すはこれのみです。 # by mirai-wo-yomu | 2008-05-26 19:33
2008年 05月 12日
今週のブログが少し遅れています。 明日(13日)から北海道伊達市の「ひびきの村」にて、講義をしに1週間弱出かけますが、その準備もあり、まだ書けていないのです。 本ブログに来てくださる奇特な方々、近日中にアップしますので、もうしばらくお待ちください。 いつもありがとうございます。 # by mirai-wo-yomu | 2008-05-12 20:19
2008年 05月 07日
先週のブログのように、未来への航海図のない日本ですが、気がつけば孤立国になってしまう前に、じゃあどうしたらいいのか。 これまで述べてきたように日本は自らを変えようとしない。これはなぜかというと変わることによって権力を握っている人々にとって、失うものが大きいので変えられないんですね、きっと。変わってしまうと、今の自分の生活や人生、収入や地位、名誉が失われる? つまりどうすればこの国がよくなるのか、この国の国民がどうすれば幸せになるのかを考えたとき、仮に権力がある、金力がある、そういう人々が自らを犠牲にしても未来のために国のあり方を変え、人々に貢献するか、あるいは力を尽くすかというのを考えたとき、それほど尊い人はもうこの国にはいない、それが明確です。否この国にはずっといなかったのではないかとさえ、私は思います。 そういう意味で我々は未来の世代に対して、自分自身が少々の犠牲はおしまない生き方を少しでも示す、つくり出していくという努力や、そのための発言をしたりしないと、この国というのは沈没船になるのではないかと思っています。 ですから東アジアで気がつくと孤立国、日米関係では、安保条約含めて金で、イラク派遣で、米駐留軍の思いやり予算で、アメリカ国債の大量買入れで、ドル買いで、さんざん貢物して、アメリカの植民地の中で何とかやらせてもらっていた。国民に気付かれぬように。しかし、それもなんかそのうちにアメリカが中国と仲良くなって、日本は後からおいで、になってしまう。あるいは南北の朝鮮半島が統一すると、一億人近い国家が出来上がるわけですから、経済的にもエネルギーも強いでしょう。発展します。そういう人々が日本をどう見るか。 かつて日本が戦争を起こし、そして侵略して、それに対して今も非常に不鮮明な解決しかしていないとみるのではないでしょうか。特に日本の戦後60年以上続いた自由民主党とは、常に対アジアに本心から頭を下げないできました。解決しようという姿勢を見せてこなかった。むしろ、あの戦争を肯定している。 自民党の加藤紘一さんとかはそんなことないと思いますが、平和主義、憲法を守る側の一部の人を除いて、日本というのが果たして世界のなかで、アジアの中で立場を認められて生きていけるのだろうかということに関して、私は非常に危惧します。 我々は最悪の事態になる前に、その最悪を想定してリスクマネジメントをしなければいけないと思っています。日本という国の未来に対する危機管理を、手立てをしないといけない。それではどうするのかと。 今の私個人としての大きな課題はそれです。今まで考えてきたことの結論というのは持っています。それを次回以降しゃべりたいなと思いますが、とりあえず孤立しないためには、私は日本国憲法、あるいは民主主義の世界的な基準をつくっていく、あるいは、民主主義のモデルを探し、学ぶ、グローバルデモクラシー、そして富と機会の公正を世界でも日本国内でもまさに公正に再配分をしていくということ、それに対してどういうふうに私たちの従来の価値観を改め、社会をつくり変えていくのか、あるいは世界に対してどうやってそれを訴えていくのかということを、これらを勇気をもってやっていく時期にきているのではないかなと思うのです。 しかし、そのときにはそのリアクションも、例えばアメリカから来ると思います。あるいは、政・財・官・既得権者から来ます。そのリアクションに対してどうやってキチンと防ぐのか、説得するのか、ここら辺のところを構築するには、私たち自身が民主主義のレベルを徹底的にもっと高めないといけません。そして、経済的な構造に関しても食料だとか、エネルギーに対してもできる限り自給自足的になるということも必要だろうと思います。しかしそのまま単に引きこもりするだけだと、内に篭って討ち死にですから、最悪の状況になります。武士道的結論です。それじゃあ。 ですから引きこもりではなく、今いった積極的自立、自給的社会を作り、かつ、世界にも出ていくと。私はよく言うのですが、棒倒しの論理です。棒倒し、小学校の運動会でよくやりました。 つまり、相手へ突っ込向かうグループと、棒を守るグループに分ける、という話です。世界に出て活躍する人々もあり、日本にいてこの国を清貧に守る、幸せのレベルを高める。外に対しては競争でしょう。しかし、中はなるべく平等。 両方の共通項は、日本国憲法という旗。民主主義が世界一高い、という理想。それが私の棒倒しの理論です。 # by mirai-wo-yomu | 2008-05-07 15:34
2008年 04月 30日
北朝鮮問題と日本の右傾化、これも非常に悩ましい問題です。 以前にも述べたように、中国が変わればこれは北朝鮮が変わる、日本も変わる。これには日米関係、日中関係のあり方が関わってきます。 その意味でチベット問題は実に日本には難しい思考をつきつけました。人道主義と両国関係、そして共産主義の問題点です。 勿論その間に韓国という存在があって、北朝鮮が南北統一するときには、最も韓国が力量を発揮する時代が来ると思いますが、経済的には日本が支援せざるを得ないことが多々発生するのではと思います。 ただ日本には冨や権力層の世襲を続けるのかと、機会を平等にしてその後は競争すべきという、相反する2つをどうするかの問題があるのではないかと考えます。つまり、この日本という国は世襲を中心に階層が固定しつつあるという気がします。政治家が一番ひどい。そういうことを考えたときに、何か見えざる格差、見えざる世襲がどんどん広がっていて、そのことに対して詳らかでない。マスメディアなどがもっとオープンに、世襲がいいのか、悪いのか、あるいは世襲に代わる公正なシステムがないのかが議論されるべきだと思います。 入れ替え戦がある、敗者復活戦がきく、親が経済的に厳しくてもその子どものチャンスは平等で努力次第で望む大人になれるという、そういう社会をつくるほうが、私は幸せな国じゃないかと思います。 競争がいいのかどうかという問題もほとんど問われていません。何か当たり前というか。受験競争に始まって、経済競争もあり、何でも競争、競争というふうになっている現状があります。私は何も全員手を繋いで一等になれとはいいませんが、(参加の自由でやればよい)少なくとも経済的な条件なり、ハンディキャップ等々あるなかで、大学受験もそうですが、競争自体あることがそう好ましいとは思いません。 私は少なくとも教育に関しては大学までは北欧のように無料で誰でも入れるようにしたらいいのではないかと思います。勿論、そこに競争する、採点をする必要はあるかもしれません、また普段の努力をどういうふうに評価するかという問題があるかもしれません。 しかし今のように、塾に行って記憶して、勉強させられて、受験して、東大受かって法学部行って大蔵省行っちゃった。そして最後は天下りでオレは他のヤツより一生涯高収入が欲しい。そういうシステムになっている状況を放置するならば、日本はますます再生不可能で悩ましくなるだろうと考えます。ホリエモン、村上ファンド、日銀福井元総裁、皆このパターン。 それから「和を以って尊しとなす」というのがあります。 平和という意味ではいいのですが、問題を起こさない、周りの空気を読む、世間の言うことを聞く、KYの世界に入っちゃって、自分の個人の自立、確立がない、私自身がいない。こういう社会においては悪いことも見ても見ぬふり、知らぬが仏となっちゃいますので、私は残念ながら「和を以って尊しとなす」とする必要はないと思っています。 キチンとした論を持ってお互いに個人を認め合いながらその言論を自由に闘わせた方がいいと思います。それが市民社会です。 また、隠す、嘘をつく、偽装を恐れない、もうかれば法律無視という拝金主義も怖いなと感じています。とにかく偽装だとか、嘘だといってもどんどこ、どんどこ出てきていますね。もう毎日、新聞の社会面の左下の所はほとんどが謝罪広告ばっかりです。なんで、どうなっているんですか、この国の企業は?と。 つまり日本というのは、どんな悪でもバレなければOKと。アバウトOKみたいなことで、限りなく黒に近いグレーゾーンのような人々が大企業の経営をしたり、仕事をしたりしていることが、大変失礼ながら多いのではないかと思います。このことに関しては、私は非常に怒りを覚えます。 こういう文化を本当に続けていいのか。これこそ日本の民族主義者、保守族議員や権力者が誇る伝統文化じゃないかと。私がよく例に出すのはお祭りのとき、お金での寄付の一番多い人が右の上で、一番少ない3千円ぐらいの人が左の下にペタペタ名前貼ってあるあの伝統・文化的情景、看板です。それが祭りの恒例だというならば、もう祭りはやめろといいたいくらいです。 お金がすべて、だれがいくら寄付したかとか、それを人にひけらかすみたいな文化というものはもう廃絶するべきだと思っています。そこら辺もどうするのか、日本の悩ましい問題です。 今述べてきたことの後側にいろんな意味で儒教的伝統・文化というものがあると考えています。この儒教のもっている精神構造というのは、少なくともいい悪いは別にして、キリスト教民主主義とは相俟ることはありません。つまり東アジアが東アジアとして生きるとき、日本は儒教的な社会をつくって「なあなあの和を以って尊し」としていくのか、もう一つは、世界のグローバリゼーションのなかで、少なくとも今一元化されようとする、より高次の民主主義というものをどういうふうに主体的に考えるのか。 民主主義の高さを国のアピール点として我々のこの日本を運営して行こうというときには、私は今の日本国憲法であり、民主主義の精神というものを、個と市民社会の中で確実に自分たちのものにしていかないといけないと思います。 もし民主主義は嫌だ、チャンスを平等にしたり、多様性を尊重したり、男女が真に平等だったり、世襲が崩れて入れ替え戦があったり、法律がルールどおりに守られたり、という社会はヤダ、という場合は、儒教を前提としたシステムでいくべきだろうと。もっと言うとこれは一つ間違えると、戦前型の国があって国民ありの大日本帝国憲法になっちゃいますし、今の官僚の絶対権力支配の延長線上でやっていこうということです。 はっきり言えば「市民主権でなく、官僚主権」でやっていくということです。そして天皇制を敬愛するやわらかな日本人の心情を見抜いてそれを利用し、官僚たちが自分たちの思い通りの国家にしていく。 日本国憲法がありながら、9条がありながら、陸海空軍はこれを保持しないと書いてあるにも関わらず、世界有数の軍事力を持つ、アメリカの下請けを行う自衛隊が存在する。先日イージス艦が漁船を沈めた際のあのときの対応などの中身をみていると、日本という国は危機管理能力、情報公開性などの力量がないというのがよく見えると思います。 防衛省の守屋前事務次官、ゴルフが何百回だか知りませんが、奥さんも含めて、接待漬けのシャブシャブ漬けになっている。こういう人々が、小泉元首相がアメリカ行くときにも特別機の中に乗っかって、もっとも親しく、最も重宝されていた次官だった守屋という人物なのです。なぜ新聞、テレビはその事実を大きく報道しないのかも不思議です。 そういう人が結局防衛省にいる。そして、防衛省を握っている人間の指示でアメリカから軍需備品を買っているわけですね。これはどういう関係にあったのか、素人でも流れが見えますよ。そういう問題もあります。しかし、守屋前次官問題のときも、マスコミの新聞、テレビは小泉元首相との関係のことなど、一切報道しません。 それから食料の自給率が低い(39%)、エネルギーがない。勿論レアメタルもないですけれど、こういった資源のない国がどう生きていくのかという問題も、これについても結局定かなる解答がないという状況できています。ただ、ただ輸入? 結局、いろんな意味で、日本を悩ますのは、日本国憲法という理想的な憲法がありつつ、それを使いこなすだけの力量がない、あるいは、あえて遠ざけてきた。安倍前首相のように「あの憲法は嫌い!」と。あるいは日米関係で絡められてしまっている。あるいは日本語しか出来ない人が多いので、(私もそうなんですが)どうしても世界へ出て行けるようで、出ていけないと。日本のなかで孤立していると。 井の中の蛙、畑の中のタヌキ…。こういう状況のなかで、よってたかってアメリカから蝕まれる、という状況が多々あるのではないかなと感じつつ、中国はじめアジアは世界へと台頭し、インドも台頭し、世界が変わってきています。それに対して、日本の国内で何をどう、いつ、誰が変えたらいいのか分からないというのが、今の日本のジレンマじゃないかと思います。 具体的な世界観、未来観、ビジョン、ブランド・デザインが持てない状況のまま、空洞化した民主主義の中で浮遊しているのが日本だと思えるのです。 これ、どうしますか? 放置しますか? 成り行きですか? 誰か月光仮面が来て、正しい日本への改革をやってくれるのを待ちますか? # by mirai-wo-yomu | 2008-04-30 12:31
2008年 04月 21日
「こんな記事がありますよ」と先日、ビジネスのプロの大先輩から、1枚のコピーを手渡されました。2008年1月19日「日経新聞」の記事です。 『海外メディア「ニッポン」失望』の見出しで、海外メディア各紙・誌でのさまざまな日本の評価(失望ぶり)を紹介したものです。 さてこの記事の意味する所は、 ①日本は市場として魅力がない ②自己改革ができていない ③マーケットが開かれてない ④株主資本主義でない ⑤利益率が低い ⑥技術に乏しい ⑦型破りな人間が育たない 先ず第一に、この記事のように、海外マーケットからみて日本は開国するのか、閉鎖するのかという問題が挙げられるでしょう。今は鎖国的状況にあると言われているわけです。例えばその一つの理由に、多民族国家になれない日本、という問題があると思います。つまり外国人の人と共存できない、共存しにくい日本人の精神性があるわけです。このことを我々が乗り越えられない場合は、東アジアのなかで間違いなく孤立化していくと私は思います。そして少子化のなかで避けられない問題を抱えるだろうと。 この少子化社会のなかで日本が経済成長する必要は私はないと思うのですが、これは追って話します。が、もし経済成長する路線をとる人々が日本のマジョリティである場合は、私はその労働力をどうするのかという問題が生じると思います。この労働力の解決策としてよくある世界的な例、EUでもアメリカでも同じような問題ですが、結局様々な国から人に来てもらうことになります。そこでその人たちがその国でできるだけ、本当は完璧が望ましいのですが、その国の国民と同等の権利を持って働き、生きていくことができる社会的な環境がつくれるかどうかということです。 そのことに日本人が耐えられる場合、日本という国の再生はあるでしょう。しかしそれに耐えられない場合、しかも排他的になる場合の可能性は低くはありません。これまでのことを思い出してみて下さい。何か北朝鮮で問題が起きるとチマチョゴリの高校生や中学生が刃物で切られるとか、罵られるとか、そういうようなことが日本ではしょっちゅう起きるわけです。 非常にナショナリスティックな人々がアジアなどの比較的貧しい国の人々に対して排他的な態度をとる。悪しき白人敬愛、有色人種蔑視のような文化を主張する。私はそこのところに実は日本のナショナリスト=自由民主党の右側にいる人々、ほとんどメンタリティが同じだと思いますが、右翼の思想性もそうです、こういう人々のもっている力が強くて、多民族国家になれない場合、日本はおそらく衰退の一途を辿るだろうと思います。 他にも問題はいっぱいあります。例えばいつまでたっても建前と本音がなくなりません。以前「個人主義がなく、社会がなく、世間がある」という話を書きましたが、それと同じように常に建前と本音で動く、都合によって、おいしく使い分けています。原理原則のない日本、これは国際的なグローバルな世界では通じないと思います。 それから自分を写す鏡がない。これはいいか、悪いかは分かりませんが、神と自分が向き合える人々というのは、自分の悪しき部分を神という鏡にみたてて見ているのではないかと思うのです。だとするなら理性ある日本人、理性ある社会、日本でいきたいならば、自分を写す鏡、例えば日本国憲法に書かれている中身のような原理原則を自分で持たなければいつまでたっても自分の悪しき部分を見ないで通ってしまうわけです。もっというならば学ぶことができないと思います。私はそういう点では子どもにとっては大人が鏡であるといえます。大人が鏡として尊敬すべき存在に映らない限り、鏡のなかに自分を見ることができないわけですから、やはり日本人というのは、精神構造含めて全面的に取り替えなければ、この国は今後成り立たないと思っています。 しかし一方、世界のマーケットが望む日本なら、それでいいのか、という別の問題もあると思います。これは改めてお話します。 # by mirai-wo-yomu | 2008-04-21 20:48
2008年 04月 13日
グローバリゼーションというとき、アメリカン・スタンダードがグローバリゼーションだという考え方があります。これはアメリカの軍事や経済も含めたアメリカ流の仕組み、あるいは利権を世界に展開することイコール、グローバリゼーションだという考え方です。 我々日本という国は、正にその通りにアメリカン・グローバリゼーションをグローバリゼーションと捉えています。しかし、本来のグローバリゼーションは何なのかというと、ことば通りいえば地球が一つになっていくということです。つまり国境のない世界がやがてくるのではないか。少なくともそういう方向に行っています。 それは人、モノ、お金、情報の交流が国境の壁を越えてかなり自由化しているのが現実にあります。私は特にインターネットの発達がグローバリゼーションを加速させていると認識しています。インターネットの主言語は英語ですから世界共通の言語は残念ながら、今や英語です。 そうするとインターネット=英語=英語的文化の国境の壁を乗り越えた文化の流通、押し付けが行われているのが今の現実だと思います。法律ルールも含めてそうだと思います。 またヨーロッパはEUという形で一つになっています。ヨーロッパは言語がそれぞれフランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、スウェーデンにはスウェーデン語もあります。その他文化圏と言語が多様です。こういう言語が異質なもの同士が一つになるには共通言語を使わないといけないという点で、残念ながらエスペラント語というものは成長した事実はないので、やはり共通言語は英語です。 つまり世界の共通言語は英語なわけです。 東アジアにおいては、私は北京語が主流言語になると思っています。つまり日本にとってみるとコミュニケーションの道具が対世界は英語で、対東アジアでは北京語というのを前提にする時代がやがて来ると思いますし、それがグローバリゼーションの一つの必然的な側面ではないかと思います。 私が望むグローバリゼーションというのは、高度な民主主義のグローバル化、つまり世界どこにいっても通じる公正で共通の民主主義を構築していくことです。私たちはそれを日本から発信できる可能性がある。これは可能性です。ただ誰もそれをしようとしないし、またそれを露骨に発信すれば、それに対して蓋を閉めてくる国もあると考えられます。しかし我々はやってもいいのじゃないかと思うのです。 絵に描いた餅をつくろうよと!グローバリゼーション、つまりグローバルデモクラシーとは何かをやはり世界に向け、文化はそれぞれ認め合い、多様性を尊重しながら討議すべき提案事項にしていっていいと思うのです。 しかしです、その提案をするという前提には、私たちのこの国が少なくともその提案した内容に近い民主主義的な社会を構築していなければなりません。それを考えると、その提案はまだまだ先なのかなと思います。しかし心ある市民が考えることは、このことだと思います。そしてそのときに最大の武器となるのが私たちの憲法9条を前提とした日本国憲法ではないかと思います。この日本国憲法が、実は日本のグローバル化の最大の武器になるのだと、今から意識していたいと思います。 グローバリゼーションが発展していくとどうなるのかというと、単純に言えば経済の競争が世界中で行われる。市場原理という、まやかしのルールです。これをいいことか、悪いことかでいうならば、私は決していいことだとは思いません。しかし、現実には世界はそういうふうな方向に全体でワッショイ、ワッショイと動いています。 そしてグローバリゼーションの結果、南北問題にあるように富のある者(国)と貧しい者(国)がますます大きく乖離する。あるいは飽食でなんでも食べられて、残飯を残す人々と、明日食べるもの、今日食べるものもない子どもたち、人々が世界のなかに同時に存在するという状況があります。それを何とかしないといけないという思いとともに、現実に何ともできない状況になっていることを大変悲しく思います。 グローバリゼーションというのは、貧富の差、富の差を強め、あるいは強い国、弱い国を強め、金をたくさん持つ人間が、お金を持つ国の中でもまた二極化してしまう。 日本は小泉改革以降、現実には格差が広がっています。経済の格差は教育格差を生み、教育格差があるが故に世襲が行われ、そして経済的に厳しい人々は様々なチャンスが奪われているという事実があります。これは、親を選べない子どもたちにとって、生まれながらの差別構造です。 こういうことを我々民主主義国家として公正だと考えるのか、考えないのか。やはりそれがおかしいという人が過半数にならない限り、このグローバリゼーションというものについての認識も、今の状況から変化しないと思うのです。 私はグローバリゼーション化が進むなかで、日本は一体どうしていくのか、また日本国内において格差や貧富拡大が続いて、富みや権力の世襲が継承されることが、それでいいのかという問題を、世界の格差、貧困と同時進行的に両方解決していく道を探るべきだと思っています。 また、それは可能だ、と考えています。 具体的には、改めて展開します。 # by mirai-wo-yomu | 2008-04-13 17:08
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![]() 「日本経済破綻」後の未来を読む、独断再建作戦 by mirai-wo-yomu カテゴリ
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