2009年 01月 01日
惰に申し訳ありませんと、深く反省しています。 このテーマは最終回を一月第一週に書いて終了とします。 さて、破綻と言うテーマ、アメリカ発でウォール街頭が破綻しました。 これとオバマ大統領の登場がよりよき未来への転換期であって欲しいと願わずにいられません。日本についての処方箋はを私なりに考えています。 が、不思議なことに一部分ですが、同じ話しをし始めた人が出てきました。 では来年!しばらくお待ち下さい。 ▲ by mirai-wo-yomu | 2009-01-01 00:34
2008年 10月 22日
書きたいことは目一杯あります。 が、時間を作ることができる日まで、もうちょっとお待ち下さい。 (「誰も待ってないよ!」って? 言われそうですが)すみません。 また、この「破綻のあとの日本と日本人へ」ブログ、書くのは次が最後の号になると思います。 ▲ by mirai-wo-yomu | 2008-10-22 16:09
2008年 10月 02日
しかし、文章書くのがおっくうになってまいりました。おまけに? 気持ちも参りました。 いやはや、目の調子が悪く、ことによると白内障? いや、緑内障? と気が滅入っています。電車の中で座って読む本、これって至福のひと時でしたが、今は自制しています。 従って、出版社として出す本の校正仕事が、以前のように思うようにはかどらず、校了がやっと、という有り様です。かつ、私の後継者も育てられず…。いやはやです。 編集者の生命の1つは目。文字を読む能力です。これは基本中の基本。 もうひとつも、目。世の中の事象を読む能力。社会、世界、物事の是非と善悪、つまり認識眼。こっちは何とか、と思うのですが。 さて、今日はやっと気力を出し、ブログを1本書きます。 週刊文春10月9日号(今日発売)の衆院選300選挙区完全予測。政治広報センターの宮川隆義氏の記事、光りました。 つまり、予測もさることながら、「世襲」について厳しく指摘、言及している点が光ったのです。 世襲を正面から批判し、かつその世襲候補を定義し、さらに、世襲印をつけて全立候補予定者を予測しているのです。さすがです。 正直、私が有権者になって43年。初めてのマスコミ界の快挙です。 私は有権者になった20歳の時、日本の民主主義を深く悲しみました。 「この国には民主主義という言葉はあるが、中身が空っぽだ」と感じたからです。 制度としての民主主義の実態も空洞。政治や選挙システムに国民は全く無関心。 マスコミは書かないし、恐らく問題意識もない。(いや、書けない事情がある?) 選挙という、最も民主主義の根幹の、公正な仕組みにすら配慮しない。民主主義の意味づけをしない日本だったからです。 以来私は、就職し、仕事を選ぶ時は「いつかこの国にもっとまともな民主主義が育つことができるようにする仕事を選びたい」と考えて出版の仕事に決めました。そして独立して自分で始めました。 政治を正すことが、この国の未来をより良く変える。 次世代に1つだけプレゼントを残したい。「民主主義」を実態のある姿にして渡してあげたい。 今も強くそう思っています。 政治を変えるには、有権者に、できるだけ公正な公開された情報を伝える必要がある。だからマスコミとジャーナリズムが大事である。社会の暗闇の中の灯である。 が、この国の大手新聞やテレビには、どうやらその機能も志も認識もないようです。 週刊誌や休刊した「噂の真相」のようなゲリラ・ジャーナリズムにしか、その役目を見つけられませんでしたし、今もほぼ同じです。 そして教育。 教育は人間の、社会の根幹です。 未来の社会の良し悪しは、今の教育の中身にかかっています。 世界と逆行する教育、これも日本の特徴です。 そしてこれらの諸悪の背景は①官僚が主権者、支配する国の仕組み、②それを支える、利用する自由民主党。その利権と世襲の政治。③税金を私物化する企業人たち。④悪を見て見ぬふりをしてきた、我が身大事のマスコミとジャーナリズム。⑤すべての、この前近代的封建主義を存在させてきた日本人。私はこのような、非人間的、非民主的な日本システムは、嫌いです。 さて、今週号の週刊文春。 宮川さんの世襲印(マーク)と世襲批判。ぜひ読んで下さい。 日本を変えるには、政治の構造改革、つまり①政権交代。②世襲議員を落選させる。③官僚の国家の私物化の息を止める。が、最低限必要です。通過点です。しかるのち、よりましな民主主義という光を私たちは手にすることが可能になります。 その私の43年間に及ぶ、不正義を許せない気持ちが、この宮川さんの記事で少し楽になりそうです。 選挙はフタを開けないとわかりませんが…。何が起こされるか、敗け犬がかみつくか、わかりません。スキャンダルをあばいたり、あらゆる手段を、自民・公明は仕掛けるでしょう。 この間、20年ぐらい、市民派という人々のそばに私は常にいました。市民運動、市民政治、NGOのような。 が、市民派の多くは、1票の格差より、中選挙区を。(つまり、小選挙区より市民派が少人数だが受かりやすい、だから中選挙区に戻せ) (しかし、政権交代には夢を持っていない?) 小選挙区にし、政権交代を優先すべき、一票の格差を正すべき論の私は少数派でした。 世襲絶対禁止の私の考えは、ほぼ誰からも何も言われませんでした。中には、「いい世襲もある」という人もいました、市民派に。今、私は日本バイリンガル(日・英)国家論を訴えていますが、この10年間、ほぼ話題になりませんでした。(今年あたりから、ボチボチ共感してくれる人も…) しかし、昨年夏の参院選で2回目の与野党逆転がありました。1989年の社会党大勝についで、今回は民主党が過半数を取ったことは、記憶に新しい逆転選挙でした。 1989年も2007年も共に、1人区(小選挙区と同じ原理)で自民公明を破り、逆転議席を生んだのです。つまり、小選挙区的状況があったからでした。 参院は残念ながら、今も4倍を越す不公正な一票の格差がありますが、1人区が多いため、このような与野党逆転を生むのです。(早く、1:1にしましょう) 同じく、格差が2をちょっと越す(1:2)のが衆院の小選区制度です。(早く1:1にしましょう) 正しくは、この小選挙区の比例代表並立制は、フェアではない制度です。 ドイツのように、小選挙区比例代表併用制がかなり、理想に近いのは言うまでもありませんが、それは、民主主義のレベルの差。1993年、細川内閣当時の政治力学で、自民党の圧力が加わり、今の形になりました。 それでも、今回は衆院選の与野党逆転の風が吹きまくっています。 とにかく、政権交代の起こりうる国にまずすること。より良い政権を国民が選べること。 これにより、官僚の力を削ぎ、自民党、そして大企業との癒着を切り、かつ世襲の議員をすべて落選させませんか。 日本は、そうすれば変わります。市民有権者革命となります。 今回の民主党の政策は、かなり私の長年の訴えと誓いのでびっくりしています。ほぼ賛成。 マスコミも、思い腰をあげそうです。今、小泉郵政目くらまし選挙で愚かだったマスコミ自身が反省してますから。マスコミこそが目くらましに合っていたと… 唯一、最後のチャンスでしょう。日本改革。 世襲を禁止し、一票の格差を正す。(1:1に) そして、首相を公選する。これが私の政治の3つの夢でした。 ★お願い★ あなたの選挙区にいる世襲議員、それが誰であれ、良質であれ、まずは一度落選させませんか! ▲ by mirai-wo-yomu | 2008-10-02 15:55
2008年 10月 02日
第30話を書く予定が8月7日(水)からストップしたままですみません。 私の気分が今ひとつのらずにいます。というか―――。 今回の選挙の結果を見て書きたいな、という気持ちです。 で、なぜ最近、ブログに集中する時間がなくなっているかについては、別の「世直しブログ」に書いたものをこちらにものせますので、お読みください。 しばし休憩をさせて下さい。政権交代を目指して選挙を見守りましょう。 政権交代はある意味、日本型の民主革命といえますから。 ▲ by mirai-wo-yomu | 2008-10-02 15:52
2008年 08月 07日
北欧型の民主国家をどうしたらつくれるかに関しては、本当に日暮れて道遠し、今も道が見えない状況ですが、ただ「エクセレント」シリーズなどで北欧社会の哲学を知るにつけて、北欧の国があれほど豊かで、なおかつ市民の不満が少ないのは、やはり民主主義が徹底しているというのが第一だと思います。 ということは、日本が北欧型の社会に変わるとき、一番最初にやらなければ行けないことは何か。民主主義を徹底的に、日本国憲法の中に書かれていることに近づけるということに関して、国民が一致合意して、先ずそういう社会をつくることです。 そういうなかで、多様な言論を戦い合わせようとか、あるいは自由なジャーナリズムが問題をどんどんオープンにしようとか、情報公開を徹底しようとか、役人、役所は公僕に徹しよう、天下りなくそう、談合なくそうとか。あるいは生まれたときは平等で、死ぬときも平等な国をつくろうとか、人間は一旦生まれたら死ぬときまで幸せに生きられるお金の使い方を、国家はやろうよとか。 道路たくさん増やしてもしょうがないだろうと、車が通らない道路がたくさん出来てどうするのと。あるいは自給率が低いエネルギー、農業、農産物、これでいいのと。非常にたくさんの難問があります。 医療の問題一つとっても、難しい産婦人科や小児科の医者になる人がいない。これをどうするんだという問題もあります。 また目先の問題としては高齢福祉の問題。団塊の世代が60歳を超えてきて、あと20年以内にかなり高齢化率が高まり、また高齢化によって出てくるであろう介護の問題があるのに、そのときに介護をしてくれる人がいない。 外国人労働者を入れざるを得ないと、ようやく国は考えていると思います。しかし、そんなことはもう20年も、30年も前から分かっていたことで、外国労働者を受け入れる精神性のキャパシティのある社会にしないといけない。日本は差別が多すぎるし、ひどすぎますね。国が本気じゃなかった。クモの巣との入替え戦が怖い? 人間は人種や宗教を問わず、みな平等である、みな等しく人権があるのだと、全員が民主主義社会というものを納得して、実践しようという状況があれば、外国人労働の人が来ること自体はそんなに大きな摩擦になることはない。 勿論、どういうルールでやるかというのはあります。例えば日本語の能力をどれくらい身につけてくれるかということも必要でしょう。特に介護や医療の問題になると。 しかし、現実に日本は後から後から、しょうがないからやると、そうなったらやると、予想できることでもなるべく目をつぶって先送りしてやらないと。そういう先送り主義が結局、今日の財政破綻を招いているわけです。 会社で言えば倒産です。日本国家の状況は、多分明日破綻してもおかしくない。そういう事態になりながらも、まだ官僚が天下りだ、なんだかんだと権力やお金にしがみついている。 大手町とか行くと、官僚たち、役人の使うデッカイ建物ががんがん建っています。何故建つかというと、今のうちに建てないと、日本経済が破綻してからでは官庁なんか建てられませんからね。彼らは十分分かっていて必死だというのが私の推定です。私の目にそう見えます。 やはり北欧型社会にするには、一つは教育、民主主義、これを日本国民のなかで徹底的に分かってもらわなければいけない。そのためには社会教育、あるいは日常的な学校教育も必要でしょうし、家庭教育も必要でしょう。もしかして、市民教育を市民の手で新しく始めなければいけない。とにかく民主主義が我々の将来を守るんだ、発展させるんだという固い信念を訴える政治、社会体制に変えないといけない。 これは政権交代が第一。自由民主党を崩壊させ、たいしたことはなくて残念ですが、とりあえず民主党に変えるべきです。 民主党の方が、自由民主党に比べて何倍もいい。民主党の方が、民主主義レベルにおいて、民主なんですね。やはり市民主義的発想を持っている。 やはり私は旧来の日本の、悪いものも含めてすべて守るよりは、悪いものは切る、新しくいいものはつくり変えるという立場に立った民主党のような政治体制を早く政権交代させた方がいいと思います。 どういう形で政権交代するかは分かりません。自由民主党というのは非常にしたたかな政党ですから、悪あがきして、官僚と結託して、私はあらゆる寝技を使ってくると思います。 次の総選挙がいつになるかはわかりませんが、1年半くらいの間にあるでしょうけれど、それが政権交代になるという、そんな甘いもんだとは思っていません。 それはもう自民党はしたたかで、切った張ったで、いろいろな手を打ってくると思います。相当あくどい禁じ手、封じ手を使うでしょう。それに負けないように、市民一人ひとりがどういう判断で、よりよい未来を築くための政治体制をつくるかということは、我々の手に委ねられていると思います。 まさにある意味において、不要なものをボイコットしたり、NOと主張し、必要なものだけを持つ。つまり消費者の主権です。これは有権者の主権でもあり、日本国憲法の正しい活用法です。これが大事なことじゃないかなと思います。これだけ言った後に、最後にもう1発、じゃあどうするかということを言おうと思いますが、それは次回ということにさせていただきます。 ▲ by mirai-wo-yomu | 2008-08-07 14:15
2008年 08月 04日
生まれた時と死ぬ時はみな平等、無一文に これまでにも何度も言いましたが、日本というのは世襲が非常に固定化した社会になってきています。これは広瀬隆さんなんかの本を読んでいると、こんなにがんじがらめかと思うほど厳しい、強力ネットワークになってますね。別名、天井の蜘蛛の巣みたいなもので、蜘蛛の巣が天井一面に張っていて、我々は下の床で生きていると。 それで床の方から天井の蜘蛛の方へ上がっていこうとする。 こういう人たちはたいてい途中で切られるんですね。だいたい切られた人というのは、成り上がりが典型的です。切られない人はどういう人かというと、元々蜘蛛の巣の中で生まれて、蜘蛛の巣の世界で生きている人で、下の方に落っこちても上がれるんです。 基本的に蜘蛛の巣を掃除することができないと、これは日本の崩壊を招く問題だと思います。こんなに世襲がすごい国はない。政治一つとっても世襲の政治家が40%近くになっているのではという説が自民党のなかにあります。また官僚出身が150人くらいはいるのではないかと。その官僚も世襲的。世襲や官僚出身者、これを生み出しているのは東京大学ですから、日本の教育システムの問題が大きくクローズアップされています。(非多様性) 教育に問題ありの例は尽きないのではないでしょうか。非常に悪しき教育、競争。たまたま、恐らく金持ち家庭で、小学生から受験塾に行き、18歳で勉強したヤツが東京大学入ると、とんでもないことが起きない限り、官庁や大企業に行ったり、そこそこのとこに行って、そういう人たちが国家を運営していくわけです。 どうして18歳で、ちょっと勉強できる人が、国家を運営する能力や人格があるのか、私はよく分かりません。しかもその上、東京大学に入るには、小学校の頃から塾に行かないといけない。いい中学、有名中学に行く、そして有名高校に行くみたいな、完全に何か世襲のベルトコンベアという蜘蛛の巣に乗っかっているというアンフェアが起きています。 つまり経済的な力が強い親の子は、小さい頃から勉強にお金をかけられるから、良い所に行けますよと。いいところ行けば、そのベルトコンベアの延長線上に大企業が待っていますよと。自分の家の跡継ぎ待っていますよ、ということになるわけです。 それから二つ目に閨閥というのがあります。あの人と結婚した、この人と結婚したと。結婚によってネットワークしていく蜘蛛の糸の張り方がある。この結婚ネットワークが、なかなか蜘蛛の巣の糸の強さをドンドン増しているのが日本の現状じゃないかと思います。 結局日本というのは、そういうエスタブリッシュメント(権力、権威的組織)、蜘蛛の巣の上の天上人の人たちが、入れ替え戦を作ることがない社会を強化し、システム化するというのが、日本の社会の仕組みだと私は思います。 入れ替え戦があると、せっかく蜘蛛の巣にのって巨大な蓄財があったのに落っことされちゃう、そいうことを避ける仕組みがある。例えば、それが累進課税や法人税、相続税も、今、安くなった。あるいは相続から逃げるために法人をつくって、そちらの方に相続に相当する資産を埋め込んじゃうという、色々なテクニックがあるようです。 非常に理想論で、時々お前は共産主義主義者かと言われることがあるのですが、私は共産主義者ではなく、極めて自由かつ平等、自由と平等というのを前提にした社会を考えると、生まれた時には皆平等、そして生きていくプロセスの間は自由に、多様な生き方がお互いに尊重される。そして最後に死ぬ時はまた平等。「平等→自由→平等」の流れがいいのではと思っています。勿論、間の自由に経済活動なりいろんな思想活動、あるいは社会活動やっていく中でも、金銭的なものに関しては、私は累進課税がいいと考えています。 たくさん稼ぐ人は、多く国家に税金を払いなさいと。あなたはよくやったと皆、市民が称える。たくさん稼いだ企業もしかり。勿論、国家イコール地方も含めてです。社会に国に、弱い人々に、よく稼いで、多くの税を払ってくれたと尊敬されます。それでも足りない時に消費税というのも初めてありうると思うのです。 消費税の高い北欧があります。北欧に詳しい人に聞くと、北欧の人々は税金で20%とか、25%の消費税があっても、国を信用しているといっています。銀行に預けるお金を国に預けているのだと。国民は預け先の国を信用しているし、その国は国民に対して応分の福祉を提供すると。 従って生まれたときから死ぬまで、一所懸命働いて一所懸命税金出すと、幸せな最後が待っていると。一つの非常に完成された社会ではないかと思うのですね。 日本国内にはこのことはあまり十分に情報が公開されていません。つまりあちらは税金が高いぞ、ほら日本の方が安いんじゃないかみたいなことを、大企業の経営者や経済団体、自民党のグローバリズムや規制緩和論者、学者が言うわけです。 何のことはない。社会保障費ひっくるめて、厚生年金とか健康保険ひっくるめると、日本の加税率も非常に高いそうです。「先進国」並じゃないかという説もあります。ですからそんな大きな差はないけれど、結局預かった金を何に使うかが大きく違うんです。 国民の安心と幸せのために使うのかということです。例えば教育費、はっきり言って北欧なんか大学までゼロ円ですから。小学校だって、私立でも公立と同じように配慮されていて、同じお金が使える。つまり教育費がかからない。奨学金も充実している。だから、格差が少ない。子どもたちが平等に教育を受け、チャレンジできる。 日本でもそしたら少子高齢化で悩む人のなかに、経済の問題で悩む人がいたら、子どもだって増えるかもしれない。そういう意味において私は日本の場合は、一番思い切ったやり方するなら相続税100%、もし、ちょっと怯むなら相続税50%というのはどうでしょうか。 そういうふうに決めると必ず法人化して相続税を逃れる人が出ると思います。そしてそれを世襲していくシステムになると思います。ここをどいうふうに知恵を出すかについては、私のなかにまだ答えがありません。 これに関しては税の専門家に委ねたいと思いますが、しかし、思想的に言うと、生まれたときと死ぬときはゼロでいいのではないかと私は思っています。そして北欧社会を目指すべき時が来ていると。 ▲ by mirai-wo-yomu | 2008-08-04 19:34
2008年 07月 22日
テレビ電波というのは、ご承知のように郵政省、今は総務省によって管理されており、電波の許可が与えられて、その周波数に合わせた電波で映像や音声を飛ばしています。ところが今インターネットによって、無線も含めて、ケーブルテレビなど、テレビ的な映像も含めた色々な情報が自由に流通できるようになってきています。 テレビの自由化というのはどういうことかというと、テレビ局を自由化するのが一つあると思います。テレビと通信が共同化し、インターネットのチャンネルにテレビ的な要素がどんどん含まれてくると、テレビって、電波で観なくてもいいやということもありうると思います。 別な角度で言うと、テレビはNHK以外の民放は無料ですから、それは広告で食べているわけです。この広告が今、テレビの業界で減ってきていて、危機感が出てきています。インターネットへの広告がどんどん増えていると。 インターネットの方が、結局趣味志向がはっきりしている人向けですから、当然安い広告料金で効果の大きいCMが打てるわけです。例えば時代劇だけのチャンネルがある。時代劇が好きな人は時代劇的なものが好きでしょうから、そういう広告を出せばメリットがあるでしょう。高齢者の視聴が多ければその人たち向けの広告も有効です。あるいはよくあるのは、最近テレビショッピングが非常に好調だという説もあります。1日中テレビが通信販売の番組やっているわけですから。(で、規制が入りました。1日中通販はまかりならんと) ただ、これが公共の電波でいいかどうかは問題なので、私は通販は本来はケーブルテレビやインターネットでやればいいのではないかと思います。ともあれテレビの電波をより多チャンネル化することが私は非常に重要だと思います。 今、傾向としてはそういう流れになっています。そうすると国の管理による電波というものをどうするかという問題が出てくるので、これはNHKをどうするか、あるいはNHKに準じた民放をどうするか、あるいは今までの民放もいらないのではという説もあるかもしれません。 そして自由に参入できるのがいいのか、自由に参入できたときに非常に大きな問題を孕んでいいのかという問題もありますので、かなり悩ましい問題になるのではと思うのです。 ただ、映像をつくって電波で送るということになれば、流していいものと、悪いものとをどこかでフィルタリングすることが必要だと思います。そこを国家としてどういうふうに規制するのか、その問題が最後に残ってくると思います。 これに関して、私は何でも自由じゃない方がいいと思います。そういう点ではテレビ電波の自由化は、ある意味において多チャンネル化、そしてもうひとつは俗悪なもの、危険な番組をフィルタリングする機能を同時に持つことをやるべきだろうと思うのです。そして良質な番組を充実させるようにして、人々が良質な番組をなるべく観るようになれば、私は今のいわゆる低俗な娯楽番組、あるいは視聴率だけを目標にした広告、スポンサーのフィロソフィーが疑われてくると思います。 消費者が低俗、俗悪番組のスポンサーをボイコットすることを含めて、どういうふうにして悪しき企業と広告、悪しき態度を、お金の使い方を規制するかというのは非常に重要じゃないかと思います。今後の消費者運動のひとつだと思います。そういうことも含めて、情報の送り手と、それから広告の送り手、これに対してもう少し我々は自由かつ厳しい市民的チェックを強めるということを、ダブルスタンダードでやるべきじゃないかなと思います。 ▲ by mirai-wo-yomu | 2008-07-22 13:46
2008年 07月 13日
日本では、新聞・テレビ・出版がなぜ言論に対して甘いのか。 甘いというのは不十分な報道しか日本ではできないのか、という問題が日本の民主主義の前に横たわっていると思います。これはいちいち例を挙げなくても、多々あるのですが、日本には自由に書いてはいけないタブーがある。特にある特定の宗教に関してもタブー的であるとかです。 なぜかというと特定の宗教団体の信徒が、自分の宗教に対して不快な言論を書かれると、それに対して非常に強力なしつこい嫌がらせをやるからです。そうするとまともに対応ができず、また言論の自由が機能せず、結局、触らぬ神にたたりなし、みたいなことが言論のなかに起きているのだと思います。 新聞、出版がどうして、あるいはテレビもそうですが、どうして自己規制するのかという問題もあります。理由の一つには記者クラブというのがあって、そこに主たるマスコミの新聞やテレビが、国の施設を借りてそこに陣取って、各省庁から出てくるその日の記事を受け取り、それをそれぞれの記事に仕上げていく。あるいは企業に張り付いていて、その企業が出す、あるいは以前に書きましたが日本経団連や同友会とか、そういうところに記者クラブがあって、そこの記者クラブで団体から言われたものを書く。東京都庁にもありますし、県庁にもあります。 決まった人間が、決まった人間から情報を貰って書いていく。それを毎日毎日やっているとどうなるか。ある意味で人間関係ができてしまう。慣れあいです。その団体や人を批判的に書くとか、その情報をネガティブに書くことができなくなってくる。それをやってしまうと、すぐ飛ばされたり、あるいはその記者クラブに存在しにくくなってしまう。はっきり言って、権力側から言論に対するある種の規制がかかるわけです。 そうなってくると、どの新聞もどのテレビも毎日毎日出している同じネタが書けなくなる。それは記者から見ると非常に怖いことで、特落ちというのでしょうか、他社に出ているネタが自社で落ちているのはマズイわけです。 それでどの新聞も横並びになってしまう。強いて言うならば、産経新聞が一番右より、読売がその次、真ん中あたりに毎日新聞とか、東京新聞とか朝日新聞があるみたいな形で、左の方に行く言論機関は日本のなかにないと思います。 そういう意味で中道的なメディアと、右寄りな保守的なところの新聞が日本の思想を管理している。そうするとその背景に同じような系列テレビ局が存在する。これが日本人の頭に刷り込まれ、目や耳に入ってくる。そういうふうに刷り込まれていくわけです。 若干元気なのが出版です。記者クラブにも入れてもらえないので、一見元気に好きに書くわけです。ただ部数が非常に少ないので影響力としては100%じゃない。また、この新聞と出版の根底に国よって保護された再販制度というものがあって、1冊の本や新聞は日本中どこでも同じ値段で売られていることです。メーカーのつけた値段で売れることが担保されているわけです。 これは民主主義の言論は、同じ値段で買えるという意味で、非常に重要なように見えます。ただ、そのことを優先すると、結局競争がない。つまり記事の争奪戦が行われない。深い、反権力的な記事を書かなくなってしまう。記者クラブで出てきた記事に、ちょっと角度を変えて書けば終わりということになってしまう。しかも出してきた官庁などの顔色をうかがえば、批判的なことは書けません。出された、権力に都合のよい情報の垂れ流しということになる。 情報の垂れ流しなら、毎日毎日、インターネットで流せばいいわけで、新聞は要らなくなる。しょうがないから新聞はオピニオンとか、声の欄を充実させていますが、正直言って、新聞を1面から見ていくと、お読みになれば分かると思いますが、必要のない紙面がおよそ半分以上あります。 特に広告なんか入ってくると、もう3分の2くらい必要ない。読める記事は最初の何ページかと、後ろの方の社会面だけみたいになっています。まあ、スポーツや家庭欄や生活欄もそれほど重要なものばかり書いているわけではない。 こういったら失礼かもしれませんが、碁や将棋みたいなのがいろんなところに出てきたりする。これどうなっているのか? ここまで何でもかんでも、趣味までも、やる必要があるか? 将棋が好きな人は将棋の新聞読めばいいのにと、私なんかは思うのですが、なかなかそうもいかなくて、なぜかそういうものが入ってくる。 従って新聞が非常に総花的で、あの話、この話で紙面が埋まっていて、私は別名ヒマネタ記事と言っているので、ヒマネタが2分の1くらいの記事に、今の新聞はなっているのではと思っています。 結局、その新聞で言うヒマネタの雰囲気とかが、テレビに行ってしまっていると。新聞は部数を稼げば広告費が入る。テレビは視聴率稼げば、広告料入る。勿論出版だって、雑誌では部数を出せば広告が入るんですが、出版の広告というのは新聞やテレビに比べると雲泥の差、0が2個違うとか、そういうことになっている。 しかし、今インターネットが出て来たために新聞もテレビも広告費が下がってきています。私はこれは非常にいいことだと思います。 私は再販価格が撤廃されれば、メディアは生存競争のため、スクープ記事を書く、テレビでもかなり激しい言論を出すということが出てくるのではないかと思っています。なぜなら、部数や視聴率がダウンして結局、広告スポンサーが減り、経済的に苦しくなって初めて出てくる現象だと思います。 日本の民主主義、言論の自由というのは悲しいけれども結局それを司っている連中が、金をどんどん貰って腹いっぱい食べ、黒塗りの車に乗っている限りは、タブーを恐れずに報道する言論の自由は私たちの手元にはこないと私は思います。 そのためには再販価格を撤廃して自由競争にすることです。そうすると新聞社が必ず言うのは、宅配制度が崩壊する。民主主義が不公平になる。朝、新聞が家に届かなくなりますよと。私は届かなくてもいいと思うのです。届けてもらいたければ一部20円でも30円でも多くお金を払えばいいし、それは届けなくていいというのであれば、駅やコンビニで買えばいい。他に買う所はいっぱいあるのではと思います。それに何より、民主主義を100%報道しているのですか? と問いたいのです。 そういう点では私はマスメディアというのも、国の管理によって規制してもらって、護送船団で談合しながらご飯食べてきたのではないかなと思っています。その延長線上、に大変失礼ですが、ほとんと意味のないヒマネタばかりやっているテレビがある。 そのテレビを観ていると、だんだん空しく笑うだけの人が増えていく。つまらないからネットに走るというふうになってしまうのではと思うのです。 再販価格の撤廃、記者クラブの廃止、これらが日本のジャーナリズムを自立させると思います。是非、これはそういうふうにすべきだと認識していただきたいと思います。 ▲ by mirai-wo-yomu | 2008-07-13 14:44
2008年 07月 07日
最近、死刑廃止か存続か。先進国で日本は数少ない死刑を存続する国で、そして鳩山法務大臣になって13人目ですが、死刑の執行が過去の法務大臣に比べると激しく行われていると、新聞紙上を賑わせています。非常に複雑な要素をはらむ、なかなか判断しにくい問題が含まれていると思います。 長崎で伊藤市長が市長選の選挙中に右翼の人に殺されました。 この犯人は死刑判決を受けました。 人を一人殺して死刑というのは非常に少ないケースです。その背後に裁いた裁判長の理由としては、選挙の最中に、政治家をテロで殺したということが、一人、人を殺したということの上に、更に重い罪になって乗った、というようなニュアンスのことが確か判決文に書いてありました。 これを一面で見ると私は当たっていると考えます。何故かというと、政治とか言論のテロに対して、一般のテロや殺人と同じ刑罰で扱う限り、もしかするとそういう事件が減らないということが考えられるからです。 かつての明治憲法にあった尊属殺人が、つい何年か前に廃止となりました。 尊属というのは、親殺しになるのでしょうか、いわゆる明治の教育勅語にあったように、国家が一番、次に家族、親父お袋みたいに忠と考の序列があって、目上の者を殺すということは、大反逆罪だということで、罪が重かったのです。 しかしそれは結局、一人の人間の命は同じだということで、刑法が変わり、その尊属殺人は日本でもなくなりました。儒教的な日本の制度が一つなくなったということですが、逆に今度は民主主義と言論の自由を守る砦である行為とか、人を殺すことに対して、罪状が重くなるということがあっていいのか、否かという問題が、伊藤市長テロの判決のなかに含まれていたように思います。 これは今、日本で特に暴力団に関して非常に罪が重くなってきつつあるのと類似した理由なのかな、と思います。私は暴力団というのは、徹底的にやはり封じ込めるべきだと思います。江戸時代からそういうヤクザはいた、と日本の文化のようなことを言う人もいますが、私はこれはアンフェアな行為だと思いますし、人道的ではないと思います。 少なくともこれは、ヤクザという仕事という言い方はおかしいですが、ヤクザという役割を演じていると食えなくなるという形に閉めこんでいく以外にないと思います。 それが一つと、企業や警察と癒着しないことだと思います。警察と癒着する形での暴力団の動きや、バブル以前からずっと、企業との悪しき関係というのも多々あったように聞いておりますので、これはぜひとも厳罰をかけていくしかないんじゃないでしょうか。それ以外に処分のしようがないのですから。 それから右翼、特に言論に対する暴力というのがありますので、これもやはり民主主義を必要だと考えるならば、民主主義を破壊する者に対して強い処罰をせざるを得ないと私は思うのです。そうでないと民主主義の制度が守られなくなると。私はそういう意味においては、右翼と暴力団とはやはり徹底的に監視、解体の方向にいくべきだと思います。今回のサミット警備並みに。 右翼というのは思想団体だという説がありますが、思想団体として民主主義的に思想を展開する者は私は尊重していいと思います。何も右翼的発言が全部悪いと言っているわけではない。右翼的な行動のなかにおける言論、民主主義への暴力、おどし、そしてテロが問題だということです。それが一切ないとなると、特に政治家やマスメディアは非常に自由な発言をし始めると思います。 そうすると今までアンダーグランドになっていたものが、表に出る。そうすれば日本の官僚組織も相当程度に身を粛清させざるを得ない。今粛清しないのは、いろんなものを隠しも持っていて、それを小出しにしながら、政治家を操ったりしている。そういうことをさせないためにも、ジャーナリズムと政治が毅然と官僚主権に立ち向かうべきだし、また警察なり、国家の意志というのが右翼的テロリズム、言論へのテロ、あるいは民主主義への暴力はなくす、ヤクザというのは存続できなくするというのが、私は民主国家への一里塚ではないかと思っています。 ▲ by mirai-wo-yomu | 2008-07-07 18:18
2008年 07月 01日
経済団体というのは、百害あって一利無しの見本です。 日本経済団体連合会と商工会議所、商工会議所系のJCといわれる、いわゆる青年会議所、また別に経済同友会というのがあります。どっちかというと、経済同友会は中小企業、新興企業が多く、若干、開明的。また商工会議所に関しては全国各地にある商工会か、あるいは商工会議所の二つあるようです。 先日、新聞にも出ていましたが、商工会議所、商工会の役割が役に立たないということで、解体、改組、あるいは無くした方がいいのでは、というもっともな記事も出ていて、私はこれに大賛成です。 現実に、地方に行ってみると、商工会議所が非常に地域とその社会のあり方を縛っているのを感じます。あるいは市民社会のあり方をコントロールしようとしている。 もっと言うと地域のドン、金持ち連中がトップでやっていることが多いので、商工会議所の下に地域の2代目、3代目、世襲の若手が集って、それで来るべき世代の仲間たちと語りあっていると。実際語りあってるのか、飲んでいるのかは知りませんけれど。 勿論、真面目に勉強しているところもあると思います。 それからある地方の選挙を手伝ったとき、自由民主党と商工会議所がくっつくと、だいたいどこでも首長、いわゆる市長、町長その他を勝ち取れる言われていました。たまたまそのときは、候補が自由民主党系で一人、商工会議所から民主党系で一人、労組系の企業がらみで一人。それともう一人出るという複雑な絡みの場所だったので、その時は商工会議所が押した人は勝てないで3位だったという事件がありました。 普通、商工会議所が押した候補は必ず勝つというのは、日本のなかの常識だそうです。 しかし今、地域社会が崩壊し、地方が元気さを失い、よく言われているように、鉄道がさびれ、あるいは廃線となって、駅前のほとんどの商店街がシャッターをおろしている。おろしているだけならいいですが、土地建物を売っ払って空き地になっていたり、アパートが建っているなんてことも、私が行くところの近所などではあります。 東京近郊にもそういう場所は出てきて、その衰退というのは少子高齢化の中で、非常に問題になっている。 例えばの話ですが、買い物に行くにしても、車で行って大きなスーパーやホームセンターのようなところに行かないと、納豆、野菜や豆腐一つ買えない。そうなると高齢者の人で車の運転ができない人、あるいは雪かなんか降っていて、車は危ないという場合、豆腐一丁買うのに非常に苦労しているというのが地方の現状ではないかと思います。その中で特に周辺は過疎化していますから、跡とりのいない、独居老人が住んでいるところも多々あるようです。 そういう意味で日本の社会の構造が解体していく中、商工会議所やJCの役割はほとんど何も変わらないでズルズルきている。一つ間違うと役所の業務の下請けを狙っていたりするようなこともあると聞いています。 つまり自立経営ができないわけです。商工会議所という経営のプロが自立できないという笑えない話です。いわゆる地方の企業が衰退していることもあってだと思いますし、商店街などは完全に停滞、減少、廃業気味になっていますから、商店街そのものが成立しなくなってきている。会費を集めても会費が集らなければ商店街の活動はできませんから、そういう意味でも大変だろうなということがあります。 また、この形をさらに日本全国の大手企業と言う形で集約しているのが、日本経済団体連合会です。ですから、いわゆるグローバル化のなかで、世界へ展開せざるを得ない企業が非常に増えている。世界に展開しないと外貨が稼げない、というか、海外に出ないと外からの外部経済からお金を日本国内に持ってこれない。日本国内に持ってこれないと、日本国内の経済成長の貯め銭がないわけですから。特に戦後、加工貿易立国ということで、世界から資源を集めて日本国内で製品に加工して付加価値をつけて、消費地に輸出すると。この「利ざや」で日本っていうのは食っていたわけです。 そうこうしているうちに金が国内に一杯貯まった。そこで外圧がかかり90年代、バブル崩壊したのは一番の典型です。東西冷戦が終わって、89年にベルリンの壁が落ちて、91年にソ連が崩壊してロシアになるわけです。東西冷戦という、一種の軍事的対立が特にアメリカとソ連の間に行われていた。あるいはアメリカと中国も含めた社会主義国の睨み合いが終わり、軍事的なものが紐解かれつつあり、経済的な戦争に変化したのが90年代の頭です。 日本がバブル崩壊させられたというのが、その皮切りだと思います。そういう状況になるとどうしても企業は生産地なり消費地を変えなければならない。つまり消費地に生産体制をもっていて、あるいは消費地に近い所、または土地や人件費、それに法人税の安いところに企業を持っていく方が、企業としては利益が出るということで、80年代後半もそうでしたが、90年代になって特に大手の力のある企業は海外へ出ていきました。 一番典型的なのは、1980年代終わりだと思います、NHKの番組で「豊田章一郎」さんは当時、トヨタ自動車の社長だったのでしょうか、トヨタ自動車は絶対に海外に移転しないと明言していました。日本の中から自動車産業がなくなったら雇用も含めて、GDPの10%が失われるのだから、従って我々はそんなことはしないのだと言っていました。 ところがそれは単に先見性のない発言であって、その後90年代に入って中国が台頭してくると、私の知っている情報ではトヨタは最初に香港、それから中国大陸に入って行った。ホンダなんかはそれ以前に中国に行っていたはずですし、ドイツのベンツなんか圧倒的に早い時期に中国に入って、中国の幹部にせっせとベンツを貢いでいたという噂もあります。 あるいはアメリカでもそうでしょうが、トヨタは世界中に展開を開始したと思います。 ということはちょうど今から18年前、トップの世襲の経営者が言ったことが、18年後には完全に変わっているという、そのくらい世界の、グローバル化の動きが激しい。悪く言えば日本の経営者に先見性がない。 当然、グローバル化というのは80年末から決まっていたことです。グローバル化するということはどういうことかというと、同一物の生産コストが下がるわけです。ということは、製造コストが下がるわけですから、商品の値段も下がる。つまり世界が一つのマーケットになるということは、一番安い商品が流通する。高い商品をつくっている会社や国は、売れなくなるというのが一つの流れです。 その流れを日本に当てはめると非常にはっきりしています。 本当は物質消費という点では私は環境には負荷が高いと思いますが、例えば100円ショップのダイソーなどみていると、100円ショップの商品は主に中国でつくられた商品だとする。もし我々の国内でつくったら100円では、とてもできないようなものができる。そうなると、100円ショップが非常に繁盛していくという傾向が生まれ、日本企業は衰退する。それが特に地方に生産地が多い。生産企業が多いとなると地方の経済は疲弊してきます。 私の知っているケースでも、判断の誤りで地域企業が潰れていったこともありました。非常に難しい判断だと思いますが、いわゆる量産だとか、どこでも機械をもっていけば組み立て生産ができるような種類のビジネスが、グローバル化の中ではどうしても日本なら、国内から外へ出ていく傾向が出ている。そういう問題全てひっくるめて、日本経済をどうするのか、日本の企業どうするのかということに関して、経済団体としてどういうような「ディシジョンメイキング」をするのかというと、非常にあやふやです。 悪い例としては今の日本経済団体連合会のトップで、キヤノンの御手洗さんが会長ですが、この人は自分の企業が不正規雇用の法律違反を平然とやっている。トップがやっていれば他の企業は同じようにやっているわけで、日本のなかで規制緩和ということで、非正規雇用、不正規雇用、短期雇用などの形で、企業にとって非常に都合のいい労働者の使い捨て、使い回しのようなことが、どんどん90年代以降、行われるようになっている。 小泉骨太改革(人減らし、格差拡大政策)の名の下、今そういう人々がニート、フリーターの人も含めて、相当膨大になっている。一説では1千万近く、本当はもっといるのではということになっている。 これは社会の安定ということを考えると、私はいかがわしいことだと思います。 そういうことをもしプロデュースしているのが経済団体だとすると、この経済団体というのは、国民に対して何をしようとしているのか。自分の大企業だけが儲かればいいのかと。それとも国の中に住む人々、国民といわれていますが、国民の安寧と、幸福というものを、経済的にも皆で助け合っていこうという形の国をつくろうとして企業を運営しているのかというと、どうもそうではない。しかも平気で偽装をやりルール違反をし、嘘をつく。 結局、自分の企業だけ生き延びようと海外に行く。 今為替というのがありますが、例えば円とドルの関係でいうならば、海外に生産基地を半分もち、日本国内に半分もっていると、為替がどっちに変動しても、ある意味においてトータルで考えると、円で言うと、円安のときに輸出しやすいとすれば、日本から、あるいはドル安のときにドルの国、円安のときは円の国でより多く生産していくと、プラスマイナスでチャラになるという理論的なことが考えらるわけです。 これを一国の側だけで生産していくと、為替の変動で利益がぶっ飛んじゃうという事件が起きる。だから賢い経営者は今後益々そうやってリスク分散をしていくでしょう。 そうすると、グローバル化した場合、結局うちの国に来い、うちの国に来いというときにどうするかというと、法人税を安くする、法人の所得税を安くしますよと、あるいは工場、事務所の固定資産税安くしますよと、そういうところに行くわけです。 これは日本国内でも同じ問題が起きている。工場誘致をやろうとすると、必ず固定資産税を安くしたり、あるいは工場用地を半分自治体が持つなんてことをやって、自治体が持った部分が赤字になって、自治体の財政を圧迫して、住民が税金で払うことになる。結局自分で自分の首絞めてさえいるところもある。 世界的にみると、法人税の安いところに行くというのは理論的に考えられる。よく日本の経済団体のトップが言うのは、日本の法人税は高いと、もっと安くしろと。安くすることによって日本に居てやると。こういう理論をやる。 脅しすかしで必ず、法人税を上げるなら我々は外へ出て行くという言い方をする。私は非常に卑怯な日本の政府、あるいは政治家、あるいは国民、動労者を脅しすかしするような経営陣が、日本のトップで大手町や丸の内の経済連かなんかの中にいて、ふんぞり返るのをみると(実際には見ていないですが)、そういうことを推察すると非常に不愉快になる。 こういう人間が個人的な企業のトップとしてやるのは、やってほしくないですが、もし世襲かなんかで、親父の意向で自分が継いでしまって自分がトップで威張り腐るのは自由だから、それはいいですが、団体の圧力でやるなということと、企業から集めた金で自由民主党に献金して、あの悪しき政権を戦後ずっと生きながらえさせた一旦は、日本の旧日経連と旧経団連。この二つが合併したのが今の日本経済団体連合会ですから、悪いものが二つ集って2倍悪くなったというのが、私の本音です。 経済同友会は時として、なかなか健全な提言をすることもあります。例えば日本の靖国神社に政治家、特に小泉純一郎元首相等々が参拝に行くというようなときに、靖国神社の参拝に反対だと、敢えて言うと、そういうことは割りと同友会の人が言ったりするのですが、そこの社長の家に何故か、嫌がらせの火炎瓶が投げられたりというのが起きる。 ある種の、これはどうかわかりませんが、右翼的な人々のそういった活発な、言ってみると言論叩き、あるいは経済人のなかでまともなことを言う人間の口を封じると、つまり言論の自由を認めないと、そういうアクションが多々あります。これは誰が指示しているかの問題こそ問題なのですが。 私はこれはどういうメカニズムでなっているのかよく分かりませんが、かつては自民党の加藤紘一さんの家が焼かれましたが、彼も中国よりですから、中国寄りや、北朝鮮寄りの発言をする人、あるいは靖国神社に行かない方がいいんじゃないかという人は標的にされる。 結局この国は言論的に非常に冷えた環境になってきた。あるいはジャーナリズムがストレートな発言を出しにくいということには、次号でやりますが、右傾保守寄りのチームの結束が非常に固くて強くて激しいということがあるんじゃないかと思います。 少なくとも日本の経済団体は私は解散した方がいいと思います。企業一社一社がそれぞれの意見を述べた方がいいと思います、個性的に。あるいは企業が国民や政府に対して、法人税が高ければ我々は出て行きます、なんてことで脅すべきではない。私はむしろ法人税は累進加税と同じように高めて、日本国内で企業活動をするというのは、なかなか利益は出ないと、しかし日本の社会でこの企業を運営して、そして従業員が幸せな生活を送る、あるいは法人税や、固定資産税も含めた色々な税金で、国が運営されることに対して、誇りを持ち、精一杯協力するというのが、私はまともな経営者が考えることじゃないかと思います。 海外の税金の安いところに行くなんて、よく大商社なんかそうですが、タックスヘブン、タックスシェルターと、いわゆる税金のかからない島に会社をつくって、そこに利益を落とさせる。そうするとそこの利益は税金がかからない。こういうことを日本企業は徹底してやってきましたから、そろそろそういう小ズルイ経営人は引退してもらって、少なくとも日本国内にいてほしくない。海外に行きたければ行けと、海外に行って稼ぎたければ稼ぎなさいというのが私の本音です。 それが私の結論の伏線になることでもあるのですが、少なくとも私は個人の累進加税を上げるべきだと思うし、あるいは相続税に関しては本当は100%かけるべきだと思っています。 人間は生まれたときはどんな人でも平等であると。何も持って生まれない。ゼロであるというところから、自らの努力で稼いだものを手に入れるというのは構わないけれど、勿論正常でフェアな方法で、ですが、そしてまた人生を全うしてこの世から去るときに、それを社会に返して、そして永遠の眠りにつくというのが、私は人間のあるべき姿じゃないかと思うのですが、今はそういう方向に行っていないです。 累進加税を下げました、お金を持っている人は有利になりました。法人税も下がりました、国際社会と戦うためにといって安い法人税の国とあわせようとして、減税しました、税金なくなります、財政赤字です、しょうがないから福祉削りましょう、社会保障削りましょう、後期高齢の人たちの負担を増やしましょう、障害者の人たちに1割負担を増やしましょう、生活保護の人は少し切りましょうと、こういうふうにやってきたのが自民党、小泉・竹中路線なわけです。 これが小泉改革の側面です。こういう形で社会保障を切りながら、税金に関してはどうも及び腰だと、最後は消費税でいこうと、これが日本の政府なり自由民主党と官僚と、財閥企業、大企業のとってきた戦略です。 日本の人々の血を吸うヒルみたいな存在だと、まだヒルは体の瀉血といって、体の悪い血を抜くのに協力してくれますが、どうも日本の政財官は瀉血じゃなくて、汚れた血で悪血であると。 血液が流れてない。悪血の人々になっているんじゃないかなと。そういう点で経済団体は、地方の商工会議所も含めて解体して、もう一度民主的な視点からつくり変える。 市民社会における経済協力ネットワークとか、あるいは地方における市民社会における商工ネットワークのようなものにつくり直して、そして悪しき政治的つるみなど排除して行った方がいいんじゃないかと思います。 談合のことなどガタガタ言われていますが、結局談合というのは政治家、財界、企業の癒着です。税金をどうやってみんながぶんどり合戦するかというのが談合なので、これはもう抜本的な体質を改めない限り、トカゲの尻尾切りだと思います。 日本の経済グループ、企業に対して私は勿論立派な人がたくさんいると思いますが、どうも何か使命感がない。社会貢献というけれど、何を貢献しているのか分からない。結局勝ち組、負け組みという言葉がありますが、もうひとつ尊敬組みというのをつくった方がいいと思っています。 勝ちにも負けにも属さない、人のために働いている人がいっぱいいます。例えば障害者の作業所で、すごく安い給料で一所懸命、障害者の人のためにやっている職員の人たちなんかいますね。こういう人たちは本当に尊敬組みだと思います。 つまり金銭的な尺度からみたときには、非常に厳しいと思います。でもそれを承知でそういう社会的に弱い人たちのためにやる。 障害者を持つお父さん、お母さんたちが、自分のお子さんが障害をもったときに、自分が先に亡くなる。子どもが残る。そのときに、非常に金銭的対価が安いにもかかわらず、自分の子どもをずっと面倒見てくれる場所があって、そういう人がいたらどれだけ安心かわかりません。 例えばですが、そういう人こそ尊敬組みというふうに呼びたいなと。やっている仕事に使命感がある、ミッションがある人です。例えば勝ち組み、負け組みと平気で言う人に、「マザー・テレサは何組みですか?」と質問したい気がします。人のために尽くす、利他であると。利己じゃないと。私は日本の企業の多くは利己主義でやっていると思います。 あなたはなぜ、あなたの仕事をやっているのですかというときに、案外応えられない企業が多いんじゃないかと思うのです。お金を稼いで何が悪いと言った村上ファンドとか、お金でなんでも買えるといったホリエモンと同じように、つまりお金を稼ぐことが目的化してしまっている、手段が目的になっている企業とか、個人とか、あるいは投資家とかが、非常に多いのではないかと思います。 そういう人たちが寄ってたかって経済団体なんかつくっているから、わけの分からないグッドウィル、コムスンのような企業が出てきたり、福祉を金儲けの手段にするようなところが出てきたり、偽装企業があとからあとからバレる。現われる。毎日、新聞を見ていると、いろんなものが出ています。そいうような事態になっているのだと思います。 ▲ by mirai-wo-yomu | 2008-07-01 10:52
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![]() 「日本経済破綻」後の未来を読む、独断再建作戦 by mirai-wo-yomu カテゴリ
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